佐賀線廃線跡(佐賀→瀬高)


下関ステーションホテル

朝食の提供方法は昨年に変更されたままでした。
下関駅

関門トンネルを走るのは南福岡車両区所属の415系です。
小倉駅

久留米行きに乗り換えます。
車両は南福岡車両区所属の813系1000番台R1001編成です。
鳥栖駅

乗り換え時間が4分間しかないため、急いで改札外にあるコインロッカーに荷物を預けてホームに戻ります。
長崎本線肥前山口行きはワンマン運転による南福岡車両区所属の817系V031編成です。
2両編成と短いためかかなり混雑しており、今回の旅行で初めて座ることが出来ませんでした。
佐賀駅

佐賀市恵比須像の数が日本一とのことで、ホームにも旅立ち恵比須が設置されています。
佐賀駅

1番線ホームの鳥栖寄りに残る佐賀線ホーム(3番のりば)の跡です。
高架線跡

長崎本線と分岐した直後、川(堀?)を渡る手前で途切れています。
佐賀線偲橋

都市計画街路3・4・44大財木原線の八田江川に架かる橋です。
ここより手前、国道264号と交差する付近に東佐賀駅がありましたが、道路改修により痕跡は分かりませんでした。
南佐賀駅

県道333号と交差する南佐賀東交差点からしばらくの間、廃線跡は徐福サイクルロード(県道401号)になっています。
光法駅

ここもホームが残っています。
諸富駅

駅があったのは、少し先の諸富文化体育館付近で、体育館の西側の道路に記念碑が残っています。
写真は国道208号と交差する近くにあるチューリップまつり会場で諸富花いちもんめの会がまつり期間中に展示している資料です。
筑後川昇開橋

筑後川に架けられた可動橋です。
佐賀線運行時には、可動部を昇降させる筑後川信号場でした。
現在は重要文化財および機械遺産に指定され、休業日を除いて時間内は見学者が来ると可動部を上げ下げしてくれます。

動画その1(上昇時)
動画その2(下降時)
筑後若津駅

筑後川昇開橋を渡り、福岡県大川市に入って直ぐの場所にあった駅の跡です。
筑後大川駅

この駅の手前にある花宗川には跳上式可動橋が架かっていたのですが、撤去されて新しい道路橋が架かっています。
踏切跡

筑後川を渡り福岡県に入ると廃線跡は道路に改修され、記念碑が残るのみで痕跡はほとんど残っていません。
東大川駅付近は有明海沿岸道路になっており、ウメザキシートメタル大川工場に面する大川東IC入り口交差点に記念碑を残すのみです。
有明海沿岸道路から分かれて県道702号と交差する辺りから残る道床跡をしばらく進むと県道769号と交差する場所に踏切の跡が残っていました。
橋台

県道770号と並走し始める付近に残る橋台です。
主桁は撤去されて渡れなくなっています。
筑後柳河駅

You・遊の森公園として整備され、当時の山門郡の住所が書かれた駅名標だけが残っています。
西鉄天神大牟田線

矢加部駅の直ぐ北側を潜ります。
You・遊の森公園内の遊歩道を出て福岡県道23号と交差した先は道路に改修されて線路の跡は分からなくなっていますが、古い家が道路に背を向けて建っていたりするのが数少ない痕跡です。
百町駅

南に向きを変えた有明海沿岸道路と交差した先は県道703号として整備され、道路脇に記念碑が残るのみです。
三橋駅

百町駅と同様に記念碑が残るのみです。
瀬高駅付近

矢部川手前で県道96号と分かれる場所に築堤が残るものの、そこから先は橋梁を含めて痕跡が殆ど残っていません。
国道209号鹿児島本線が交差する付近の慈久園裏側に道床の跡と分かる部分が僅かに残っています。
分岐点

鹿児島本線から分岐した佐賀線の線路が国道209号を潜る部分です。
瀬高駅

佐賀線の線路があった部分は整備されて駐輪場になっています。
歩行記録

矢部川を渡ってから瀬高駅までの間は迷走しています。

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