相野駅[第25番]播州清水寺社町駅


見返りトミー君

駅西側の三菱UFJ銀行の前に立つ商店街のシンボルです。
服を着ていることが多いようですが、私が見た時は裸でした。
相野駅

十三から阪急宝塚線宝塚へ(車両は控え忘れ)。
福知山線に乗り換えて(車両は223系MA18編成クハ222-6121)相野駅に戻ってきました。
地蔵尊と供養塔

相野駅西交差点から少し東に向かい、県道141号の裏道(旧道?)に入り、再び県道に合流したところにあります。
右の石板に地蔵尊が彫られているようなので、左の人型にも見える方が供養塔なのでしょう。
旧参道入口

四斗谷川に架かる西国橋を渡った先を左折し(現地案内では県道141号を道なり)、川沿いを通って再度県道141号に合流。少し先を左折して東条川沿いを北西に進み、小さな川を渡ったところで左折して川沿いを北東に進んでから県道311号に合流して西に向かいます。
(県道141号を直進し、清水寺の案内のあるT字路を左折して県道311号に入ることもできます)
加東市に入って直ぐの平木バス停をまっすぐ進み右の道に入り、河合養蜂園の右側の坂を上ると徒歩登山道の正面に出ます。
登山道を上る場合には拝観料が不要となります。
稚児岩

登山道の途中にあります。
細川頼元山名氏らの追討を受けて立て籠った赤松氏範が薩摩へ送る五男乙若丸と決別したと言われる場所です。
西坂分岐点の道標

法華山方面と播州清水寺境内との分岐点です。
右の道標には
右 法華山道
左の道標には
→ ほっけ山
左 あ可し ミき
裏面に
左 中山寺
と刻まれています。
「あ可し」は明石、「ミき」は三木です。
参道

分岐点の正面から延びる階段です。
この先が旧山門です。
引退ポスト

1955年頃まで使用されていたポストです。
新型ポスト設置後は放置されていましたが、現住職が綺麗に洗って現在の場所に移設しました。
播州清水寺

千手観音本尊として祀る大講堂です。
西国三十三所の札所となっている本堂です。
播州清水寺

中央に安置された薬師如来の周囲の壁に「せんとくん」をデザインした籔内佐斗司氏による干支を題材とした十二神将像が並んでいる薬師堂です。
播州清水寺

十一面観音が本尊の根本中堂です。
こちらも本堂です。
六地蔵

旧山門の階段を降り、西坂分岐点を右にしばらく進んだ先の開けた場所にある六地蔵です。
この先、ウォーキングサポートの地図は直進ですが、現地案内は左折となっています。
地図の道は藪漕ぎが必要という事前情報があったので現地案内の道を進みました。
参道出口

現地案内の道は丁石も並んでいたので、「もしや」と思いつつ下って行きましたが、実態は西坂の参道でした。
地図記載の道よりもかなり短く、藪漕ぎも不要だったので予定時間を大幅に短縮出来ました。
道標

西坂参道の出口付近に建立されていた道標を1808年に移設したものです。
右 きよみ川
左 ほつけ山
と刻まれています。
「川」は「つ」の変体仮名ですので、清水寺の意味です。
道の右側に立っていたものを左側に設置したようで左右が逆になっています。
「左京いせ」の碑

国道372号(旧丹波街道)との交差点に設けられた1914年建立の新しい道標です。
左 ほつけ山 や志ろ たきの
右 きよ水 三田 大阪
裏側に
左 京 いせ ふるいち ささやま
と刻まれています。
「や志ろ」は社町、「たきの」は滝野村、「ふるいち」は丹波篠山市古市です。
平家本陣跡モニュメント

国道372号を渡って道なりに進むと左折して国道372号に合流するのでそのまま南下します。
三草山の戦い平資盛率いる平家が陣を引いた三草山から真西の方向の道の左側に設置されています。
「右ほつけ山」の碑

平家本陣跡モニュメントの少し先を右の旧道に入りしばらく進むとあります。
左の道標には
右 ほつけ山
左 大深山・くめ
と刻まれています。
「大深山」は南にある東福寺、「くめ」はその少し手前にある久米のことです。
方角がおかしいので移設されたものと考えられます。
右の道標には
昭和池入口
と刻まれています。
昭和池の竣工が1934年なのでかなり新しいものです。
二尊石仏

上の道標の少し先、道の右側の石壁に埋もれるように立っています。
向かって右に阿弥陀如来坐像、左に地蔵菩薩立像が刻まれている南北朝時代の物と推定される石仏です。
日本中央標準子午線表示柱

国道372号沿いに立っています。
少し北側の大阪ガス三草ステーションの敷地にはこの柱よりもはるかに巨大な案内板が立っています。
「すく大坂」の碑

旧道に戻った消防器具庫の近くに立つ道標です。
旧道側から見て正面に すく大坂
右側に すくきよ水三里
左側に すくほ津け山五里
裏側に すくたか郡
と刻まれています。
「すく」は「直ぐ」ではなく「真っ直ぐ」の意味で、「たか郡」は多可郡のことで、この十字路がかつては丹波街道と大坂街道の交差点だったことを示しています。
「右いせ京」の碑

突き当りの県道144号線を左折して三草橋を渡り直ぐに右折。道なりに進んで中国自動車道手前の消防分団車庫を右折して中国自動車道を潜り、県道17号を渡る前の曲がり角に立つ道標です。
右の道標には
右 いせ京/笹山古市
左 ほつけ/ひめぢ
左の道標には
右 きよ水
と刻まれています。
笹山は篠山町のことで古くは「佐佐山」「笹山」等とも記されました。
「左きよミ川寺」の碑

県道17号を交差し、千鳥川に架かる橋を渡った左手に立つ道標です。
左 きよミ川寺
右 ほつけ山/左 浄どうじ小田
と刻まれています。
「浄どうじ」は小野市浄土寺、「小田」は小野市小田町のことと思われます。
佐保神社山門

突き当りを左折し、直ぐに木梨交差点を右折、少し先の右手の細い道に入って進み、「←佐保神社」「四十七義士の墓→」の案内を左折。商店街を抜けて左手に小笠原時計店のある所を右に入るとこの山門の横に出ます。
少し北側の大阪ガス三草ステーションの敷地にはこの柱よりもはるかに巨大な案内板が立っています。
佐保神社本殿

紀元前76年創建と伝えられる歴史ある神社です。
播州清水寺の開基にも関係しています。
道標

山門から延びる参道と車道との交差点脇に立つ道標です。
右 きよみ川
左 本つけ山
と刻まれています。「川」は「つ」、「本」は「ほ」の変体仮名ですので、清水、法華山の意味です。
写真左の木のさらに左側にも
右 本つけ山へ四り
左 極楽山浄土寺江壱里
と書かれた道標が立っています。
但しいずれの道標も別の場所にあったものを移設したもののようです。
佐保神社参道鳥居

先の道標を右折して杜の交差点を渡ってその先の分岐を右に入ります。
国道175号の鳥居交差点は横断歩道がないため隣の社総合庁舎前交差点を迂回して渡り(分岐を直進すれば社総合庁舎前交差点)もとの通りに戻ってさらに進むと道路の脇にこの鳥居が立っています。
北条政子が建てた八基の鳥居の一つで、西の内の鳥居が石造りに変わって残ったものです。かつてはここまでが神社の敷地でした。
道標

鳥居の足元に立つ道標です。
東 社江八丁
右 きよみ川
裏側に
左 本つけ山
と刻まれています。
「社」は佐保神社のことで、ここから西の参道を8丁進むと山門という意味です。
福田橋(撤去中)

鳥居横の道をそのまま進むと県道204号に合流して加古川を渡ります。
右奥に見える国道372号の加東大橋が4代目の福田橋の役割を果たすためか、福田橋之記の石碑は加東大橋の欄干に移設されています。
社町駅

福田橋(歩道橋)を渡った突き当りが駅です。
右の球状の屋根の建物は待合室的な利用もできる交流ふれあい館です。
ここから加古川線に乗車します。
乗車した車両は103系3550番代M7編成のクモハ102-3557です。
加古川駅

石山駅膳所駅間で踏切の非常ボタンが押されたとのことで下り線のダイヤが乱れていました。
15分遅れの17:41発普通列車の方が3分遅れの17:55発新快速よりも早く来そうですが、新快速の方が先に到着したのでそちらに乗車して姫路駅に向かいました。
車両は223系W21編成サハ223-2062です。
姫路駅前ユニバーサル ホテル南口

大浴場はコロナ禍で休止中でした。

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